街全体が城郭だった「鎌倉」。その重要な防御施設「鎌倉七切り通し」を紹介 (3/4ページ)

Japaaan

写真:Wikipedia

交通・戦略上の重要な拠点だった「朝比奈切通し」

鎌倉と六浦(横浜市金沢区)を結ぶ。交通・戦略上の重要な拠点として、また、江戸湾を経て、安房や上総などからの物資の集散地として鎌倉の「生命線」でした。和田義盛の子朝比奈義秀が一晩で開いたという伝説があり、鎌倉七口で最も古の雰囲気を伝えています。

写真:Wikipedia

鶴岡八幡宮の裏手にある「巨福呂(小袋)坂」

鶴岡八幡宮の裏参道から西の方角へ向かう道。北条泰時が建長2年(1250)に整備し、鎌倉と北鎌倉が結ばれました。12 基の庚申塔や道祖神などから、江戸時代の末期に改修工事が行われたことがわかり、工事中の事故で命を落とした人々を供養する道造供養塔も残ります。

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