街全体が城郭だった「鎌倉」。その重要な防御施設「鎌倉七切り通し」を紹介 (4/4ページ)

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写真:Wikipedia

鎌倉と三浦の境界だった「名越切通し」

鎌倉から三浦へ通じる道。文献の上で初めて「名越坂」の文字が確認されるのは『吾妻鏡』の天福元年(1233)のことで、鎌倉と三浦の境界をなした切通しです。現在は、鎌倉市と逗子市の境になっていて、名越トンネルの上に、かつての切通しの面影が残っています。

写真:Wikipedia

今も鎌倉時代さながらの雰囲気を残す「鎌倉七切り通し」。史跡散策やハイキングとして訪ねてみてはいかがでしょうか。

ただし、足場が悪いところもありますので、訪問の際はスニーカーなどある程度の山歩きができる靴を履いていくことをおすすめします。

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