稀有な義理堅さが仇となった名将。賤ヶ岳の七本槍の一人・福島正則の生涯をたどる (4/5ページ)

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広島城天守閣

その結果、元和5(1619)年に徳川秀忠によって領地の没収を命じられ、安芸・備後49万8千石から信濃国・川中島四郡中の高井郡と越後国魚沼郡の4万5千石への大幅な減転封となってしまいます。

正則は嫡男・忠勝に家督を譲って蟄居しますが、翌年に忠勝が早世し、幕府に2万5千石を返上せざるを得なくなりました。そして寛永元(1624)年7月13日、蟄居先の高井野の幕府代官所で、失意のうちに正則は亡くなりました。享年64歳。

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