謎だらけの古代日本。在野研究者が考える「史料」との向き合い方 (4/5ページ)

新刊JP

「古事記」と「日本書紀」の対立関係に注目しつつ、「日本書紀」成立当時の派閥抗争史については拙著『国の初めの愁いの形――藤原・奈良朝派閥抗争史』で解説をしています。「日本書紀」が諸氏の祖先等を語る口調に明瞭な党派性があり、反藤原不比等派の氏族の祖先に関してはその功績を陰に陽に抑制する筆致に終始しており、逆に親不比等派の氏族の祖先に関してはその功績を顕彰する筆致を窺うことができます。

「日本書紀」を資料として扱う場合に更に重要なのは、わが国では、持統4年紀(690年)以前は、顓頊暦に随伴していた一年下った古いタイプの干支紀年法(旧干支紀年法)を公用していたのに、「日本書紀」は新しい干支紀年法(現行干支紀年法)で編年しており、そのために編年上の無理矛盾を多く含んでいることを見抜くことです。
この驚くべき事実に関しては拙著『6~7世紀の日本書紀編年の修正――大化元年は646年、壬申乱は673年である――』(幻冬舎)に述べていますので、参照していただければと思います。旧干支紀年法の公用史実は、拙著の主題である天皇祖族の出自問題と不可分な事実です。

――「あとがき」にて、本書には旧草稿があり、その一部(序章、第一章)を先行出版したものと書かれています。今回の『邪馬臺国と神武天皇』の論稿ができたのはいつ頃のことでしょうか。

牧尾:2003年頃に旧草稿の構想を立て、2006年から執筆に取り掛かったという記載が日記にあります。そして、本論第18節の補論7の冒頭にも記したように、2009年正月にはその序章と第1章、つまり拙著の草稿段階のものですが、それを考古地理学者の小野忠凞先生に送っているので、このころには最初のものが出来上がっていたと思われます。その後、「魏志倭人伝ノート」を加えたり、本論第18節の補論を加えたりしたものがこの『邪馬臺国と神武天皇』です。

――本書のタイトルにもなっている通り「神武天皇」と「邪馬臺国」はこの論稿における核の部分になります。まずは「神武天皇」の正体について牧尾さんはどのように推測し、辿っていったのでしょうか。

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