『西遊記』三蔵法師の孫弟子?伝説の僧侶・行基が実践した”他者の利益を優先する”教え (2/4ページ)
これは街の貧しい人々に寝る場所と食べるものを提供する福祉施設のようなものです。
他にも川に橋を架けたり、農業用の池を掘ったり、道路を作ったりと、民衆のための土木事業を多数行いました。その数は布施屋が9ヶ所、橋が6ヶ所、溜池が15ヶ所、寺院が49ヶ所に及びます。
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行基が源泉を掘り当てたとされる高松市塩江温泉郷の「行基の湯」。行基にとっては温泉発掘も公共事業の一環だった
なぜいち僧侶が、公共事業を決定する政治家のようなことをしているのでしょうか。ヒントは行基の師匠筋にあります。
彼が「玄奘三蔵」いわゆる三蔵法師の孫弟子にあたることは最初に述べましたが、行基の師匠である道昭は、唐へ渡った時に玄奘から教えを受け、大乗仏教の利他行を学んでいます。
利他行とは、自らの利益や悟りを追求するだけでなく、他者の利益を優先することを大切にする教えです。
この教えを道昭から学んだ行基は、公共事業という形でそれを実践したのです。
聖武天皇にも力を貸す当初、禁止されている民衆への布教を行う行基を抑えこむ動きもありましたが、時の天皇である聖武天皇は、そんな行基に目を付けました。国分寺の建立と東大寺の大仏造立を果たすべく、彼の力を借りようと考えたのです。