「土偶の正体は植物」説が浮上中、縄文時代「これが7大新常識だ!」 (2/3ページ)

日刊大衆

 改めて東日本における縄文文化の水準の高さが証明されたわけだ。

 その理由の一つは、西日本が常緑樹林帯で東日本が落葉樹林帯であったこと。

 冬に葉を落とす落葉樹林帯である東日本は、ワラビやゼンマイなどの植物に恵まれ、西日本より食糧を確保しやすかったことが挙げられる。

 縄文時代というと狩猟社会のイメージだが、一部、イノシシを家畜化しようとした試みはあったものの、実際には食糧の大半が植物資源(ちなみに彼らの主食はアク抜きの必要がないクリ)だった。

●縄文人の正体

 縄文人の先祖は日本に住んでいた後期旧石器時代人だが、彼らはどこから来たのか。

 かつては南方から日本に渡って来たといわれてきたが、縄文人骨のミトコンドリアDNAの分析で、シベリアと中国、朝鮮方面の集団との共通性が指摘されている。

 最終氷河期に当たる後期旧石器時代には、シベリアから樺太と北海道までが地続きで、そこから今より狭い津軽海峡(北ルート)、あるいは朝鮮半島を経て同じく今より狭い対馬海峡(西ルート)を渡り、古こ 本州(現在の本州、四国、九州も陸続きだった)にやってきたとみられる。

 こうして縄文人が形成されて一万年が経ち、稲作文化を持つ人々が再び西ルートで渡来し、彼ら弥生人が縄文人を駆逐したといわれてきた。

 しかし、人骨などのDNAの分析で現在の日本人は縄文人の要素を一〇%から二〇%残し、われわれの先祖が縄文人であることが分かってきた。

●縄文時代にコメを栽培していた?

 狩猟や採取のみならず、縄文時代に植物を栽培していたのは、貝塚などでマメやウリなどの栽培植物の種子が発見されていることで明らか。

 稲の葉の細胞も検出され、一部、稲作が行われていることも確認された。

 だが、それは水田用ではなく畑作用。コメの栽培は一般化しなかった。

●土偶の正体

 土偶は粘土で素焼きした小像のこと。なんのために造られたのかは、この時代最大の謎とされるが、玩具説や祭具説の他、護符説や呪術(まじない)説などがあり、定まらない。

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