毘沙門天の化身も認めた!徳川家康の「海道一の弓取り」ぶり。『徳川実紀』を読んでみた【どうする家康】 (2/4ページ)
是より御音間絶せず……
※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年-同三年「家康通好于謙信」
【意訳】このころ(元亀元・1570年ごろ)、越後国(佐渡島を除く新潟県)に上杉謙信(うえすぎ けんしん)入道という歴戦の勇者がおり、その軍略兵法は呉(古代中国の一王朝。紀元前6~同5世紀)の孫武(そん ぶ。孫子)を髣髴とさせる戦上手であった。
今川氏真の件で初めて交流を始めたところ、謙信は「海道一の弓取りと天下に名をはせた徳川殿とお近づきになれるとは、これ以上の喜びはない」と大喜び。
家康の家臣・松井忠次(まつい ただつぐ。松平康親)にあてて礼状を送り、以来交流が絶えることはなかった。
(家康への書状をその家臣に送ることでへりくだり、家康に敬意を示している)
ということで、竹千代の誕生から『徳川実紀』をずっと読んできたところ、家康を初めて「海道一の弓取り」と呼んだのはあの軍神(自称・毘沙門天の化身)上杉謙信だったようです。
ただし、文中で「当時海道第一の弓取と世にきこえたる徳川殿」と言及していることから、すでに人々が家康の戦上手を噂していたことが分かります。