毘沙門天の化身も認めた!徳川家康の「海道一の弓取り」ぶり。『徳川実紀』を読んでみた【どうする家康】 (4/4ページ)
しからばはやく 徳川氏を除き後をやすくせんと例の詐謀を案じ出し……
※『東照宮御実紀』巻二 元亀元年-同三年「家康絶信玄」
【意訳】元亀3年(1572年)閏3月、金谷・大井川のあたりを家康が巡視していた。このころ、信玄は徳川と謙信の交流を聞いてこれを危険視、早い内に徳川を滅ぼして後顧の憂いを断とうと例の謀を繰り出すことに……。
「例の詐謀」とは前に家康と共同で今川氏真を滅ぼし、遠江(徳川)と駿河(武田)をそれぞれ分け合っておきながら、後から欲を出して遠江への進出(≒家康の暗殺)を企んだ一件。
いよいよ打倒徳川に本腰を上げる「甲斐の虎」武田信玄。これが間もなく三方ヶ原の合戦につながります。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では家康と謙信の関係、そして松本潤と阿部寛の対決がどのように描かれるのか、楽しみですね!
※参考文献:
経済雑誌社『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan