徳川家康の三大黒歴史・三方ヶ原の”失禁”は本当か?『改正三河後風土記』によると……【どうする家康】 (2/3ページ)
漏らしながら逃げて来たんだ」と軽口を叩いたことが記されている。しかし、この日の合戦(一言坂の合戦)では家康が出馬しておらず、逃げ帰るも何もありえない。よってこれらは妄説として改正版では削除した。
大久保忠佐とは大久保忠世(演:小手伸也)の弟で、大久保忠教(ただたか。彦左衛門)の兄に当たります。
武田軍の恐ろしさに失禁してしまった家康の臆病を非難したそうですが、そもそも一言坂の合戦(元亀3・1572年10月13日。三方ヶ原の前哨戦)に家康は出陣していません。
最初から浜松城にいたのだから馬に乗っていたはずもなく、そのような粗相はあり得ない。だからこれらはフェイクニュースだから改正版では刪(けず)り去った……ということです。
ただしこの『改正三河後風土記』は、徳川家にとって不都合なことは何かにつけ妄説であるとして切り捨てているため、本書自体を偽書とする研究も見られます。
もしかしたら、一言坂で前線部隊の惨敗を聞いた家康が浜松城内で失禁し、それを戦闘から戻って来た忠佐が「いま乗馬されたら鞍が汚れるだろうよ」などと笑った(のが改変された)のかも知れません。