浄土真宗中興の祖と言われる蓮如が説いた「白骨の御文章」 (1/2ページ)

心に残る家族葬

浄土真宗中興の祖と言われる蓮如が説いた「白骨の御文章」

「朝に紅顔有りて、夕べには白骨となれる身なり」という。朝は元気のよかった紅顔の少年が夕方には死んで骨になってしまうこともある。この世は無常で人間の一生は実に儚い。いつ終わるかわからない人生をいかに生きていけばよいのか。

■蓮如(れんにょ)とは

この句は浄土真宗中興の祖と言われる蓮如(れんにょ 1415〜1499)が信者に教えをわかりやすく伝えた「御文章」の中の一節で、「白骨の御文章」として知られている。出典は平安時代に編まれた「和漢朗詠集」から藤原義孝の詩句「朝に紅顔あって世路に誇れども、夕べに白骨となって郊原に朽ちぬ」から引用されたとされる。

蓮如は浄土真宗の宗祖・親鸞の子孫として、総本山といえる本願寺の第八世を継いだ。中興の祖と呼ばれているのは、当時の本願寺は総本山とは名ばかりで、親鸞の墓守のような存在に過ぎず零落の一途を辿っていた。本願寺は親鸞の子孫が継いでいるというだけのことで、親鸞の弟子の系統は他にも存在し、それらの勢力が本願寺を圧倒していたのである。本願寺は天台宗に庇護されているような形で、蓮如自身極貧の生活を強いられていた。その生活すら48歳でようやく手に入れたものである。それまでは部屋住みで寺の隅で細々と暮らしていたという。そんな蓮如だが、革命的な手法を編み出し、本願寺を現在に至る日本最大宗派にまで導いた(浄土真宗本願寺派/真宗大谷派)。その手法が御文(御文章)である。

■蓮如の「御文」

浄土真宗の聖典は親鸞の残した一連の著書・和讃などで「聖教」(しょうきょう)と呼ばれる。文字も読めない庶民には難解である。蓮如はこの教義を手紙の形で分かりやすく説いた「御文」(御文章)を中心に布教を行った。平易な内容で庶民にも理解できたことの意味は大きい。難解な聖教は各地で独自の読み違え、読み替えが行われ、独自の解釈も生まれる危険があった。僧侶に物品を寄進することで功徳を積めるという「施物頼み」などはその例である。

■白骨の御文

御文の中でも特に知られているのが「白骨の御文」と呼ばれる一文である。要約すると次のような内容になる。

世は無常であり人生は幻のようなものである。1万年生きた人間など聞いたことがない。

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