【ネタバレ注意】孤独と狂気にさいなまれる今川氏真。その後どうなる?【どうする家康】 (2/4ページ)

Japaaan

永禄三年五月八日従四位下に叙し、……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九十四 清和源氏(義家流)今川

【意訳】今川氏真。通称は五郎、彦五郎。官職は上総介、刑部大輔。位階は従四位下、出家後は宗誾(そうぎん)と号し、母親は武田信虎(信玄父)の娘=信玄の甥に当たる。
天文7年(1538年)駿河の国で誕生。23歳となった永禄3年(1560年)5月8日、従四位下に叙せられた。

……ちょっと待って下さい。永禄3年(1560年)5月と言えば、19日に桶狭間で父・義元が討ち取られる直前。5月8日付で辞令が下り、数日で駿河に報せがもたらされたとすれば……。

「五郎よ、おめでとう」

「ありがとうございます、父上!」

などと言っていたかはともかく、喜びの真っただ中で父を喪う急転直下。悲劇のギャップも大きかったことでしょう。しかし、悲しんでばかりもいられません。

駿河へ侵攻する武田軍(イメージ)

……義元戦死の後遺領を継。十一年十二月武田信玄駿府に出張し、急に居城を攻。氏真防ぎ戦ふといへども、勢ひ屈して終に城をさけ遠江国掛川にうつり、のち北條氏康がもとにいたりて寓居す……

※『寛政重脩諸家譜』巻第九十四 清和源氏(義家流)今川

【意訳】義元の没後に今川家を継承するも、永禄11年(1568年)12月に武田信玄が駿府へ侵攻。防戦に努めるが陥落し、遠江国掛川城へ逃げ込んだ。

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