宗徒をまとめたカリスマ性に溢れた僧!一向宗の若きホープ・空誓の生涯を紹介【どうする家康】 (2/3ページ)
永禄6年(1563)に、本證寺への守護使不入権を家康の家臣が破ったことで、三河一向一揆が勃発します。空誓も鎧を着用し、一揆勢を率いて松平勢と交戦。
鉄棒を振り回して戦いますが、敗れてしまいました。
そして、永禄4年(1564)に和議が結ばれ、三河一向一揆が収束します。一向宗は家康によって禁制にされ、三河国内にあった一向宗の寺は破壊されてしまいました。
居場所を失った空誓は、賀茂郡菅和田(現在の愛知県豊田市新盛町)に逃れました。菅和田では、岩屋に住んでいたと言われています。
本證寺の復興を果たす三河一向一揆から20年後の天正11年(1583)、家康は一向宗が三河国内に寺を建立することを許可しました。