何人登場する?お葉だけじゃない、徳川家康の十数名もの側室を一挙紹介【どうする家康】 (5/8ページ)
於万(おまん)
勝浦城跡の養珠院(於万)像。画像:Wikipedia(sarugajyo氏)
天正5年(1577年)生~承応2年(1653年)8月22日没(享年77歳)
家族:父は諸説あり(正木頼忠?蔭山氏広?)母は智光院⇒江川英長の養女
備考:三浦一族の末裔。父が北条一族の滅亡に伴い失脚すると、江川英長の養女として家康の側室となる。家康の十男・長福丸(徳川頼宣)と十一男の鶴千代(徳川頼房)を産んだ。
於梶(おかち)天正6年(1578年)11月9日生~寛永19年(1642年)8月23日没(享年65歳)
家族:父は太田康資、母は法性院(父母とも諸説あり)
備考:幼名は「おはち(八)」だったが、家康の命により「おかち(梶、勝)」に改名。家康の五女・市姫を産んだ。これが家康にとって最後の子(以上、十一男五女)となる。
聡明かつ男勝りな女性として知られ、多くの逸話が伝わった(ほとんど創作だが、家康に寵愛されたことの証左でもある)。
於富(おとみ)生年不詳~寛永5年(1628年)7月8日没
別名:山田富子(実名)
家族:山田氏
備考:ほとんど謎の女性。戒名は信寿院日富神尼。墓所は池上本門寺(東京都大田区)にある。