何人登場する?お葉だけじゃない、徳川家康の十数名もの側室を一挙紹介【どうする家康】 (3/8ページ)

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築山殿の意向により浜松城を追われ、成長した秀康に従って越前北ノ庄(福井県福井市)へ移住。現地で没した。

また一説には秀康と同時に双子の永見貞愛(ながみ さだちか)を産んだとも言われる。

西郷局(さいごうのつぼね)

西郷局(画像:Wikipedia)

天文21年(1552年)生~天正17年(1589年)5月19日没(享年38歳)

別名:於愛の方

家族:戸塚忠春の娘⇒西郷清員の養女

備考:家康の三男・長松(後の徳川秀忠)、四男・福松丸(後の松平忠吉)を産む。美人で温厚誠実な性格が家康はじめ人々から愛された。強度の近眼で盲目の女性に同情し、手厚く保護したと言う。

於竹(おたけ)

生年不詳~寛永14年(1637年)3月12日没

家族:諸説あり(父は市川昌永?穴山信君?秋山虎康?武田信玄?)

備考:天正8年(1580年)に家康の三女・振姫(ふりひめ)を産んだとされるが、於都摩(下山殿)が産んだとの説も。

於都摩(おつま)

永禄7年(1564年)生?~天正19年(1591年)10月6日没(享年28歳)

別名:下山殿、秋山夫人など

家族:秋山虎康の娘⇒穴山信君の養女

備考:天正10年(1582年)、武田家の滅亡直前に穴山信君(演:田辺誠一)が織田信長(演:岡田准一)に降伏した時に家康へ嫁ぐ。家康の五男・万千代(後に武田信吉)を産む。

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