虚々実々!若き日の徳川家康が臨んだ「三方ヶ原の戦い」にまつわる逸話の真相は?【後編】 (1/3ページ)
「空城の計」の真相は?
【前編】では、武田信玄と若き日の徳川家康が激突した三方ヶ原の戦いが起きた経緯を解説しました。
虚々実々!若き日の徳川家康が臨んだ「三方ヶ原の戦い」にまつわる逸話の真相は?【前編】三方ヶ原で2万5千の武田軍に対して1万の軍で挑んだ家康は、あっという間に惨敗。家康の盾になって多くの重臣たちが戦死し、家康はなんとか浜松城へ逃げ帰ります。
この時に使われたのが、城門を開け放って敵の警戒心を煽る「空城の計」だったと言われています。
この時、家康は豪胆にも城に逃げ帰るとぐっすり寝てしまった、そして武田軍は『三国志演義』さながらに空城の計に引っかかり、城攻めを警戒していたところで不意を衝かれた……とよく言われます。
