大河ドラマではどう描かれる?徳川家康の最期を『葉隠』はこう伝えた【どうする家康】 (3/4ページ)

Japaaan

「……御臨終にございます」

最期の時まで弓矢を手放さず、天井を射抜いた家康の態度は「さすが武門の棟梁、天下を獲られるに相応しい御方であった」と称えられたのでした。

一方の『徳川実紀』では膝枕の最期

以上が『葉隠』の伝える家康の最期。一方、江戸幕府の公式記録である『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』ではどう伝えられているのでしょうか。

家康と子孫たち。歌川芳虎筆

……四月十六日納戸番都築久大夫景忠をめし。常に御秘愛ありし。三池の御刀をとり出さしめ。町奉行彦坂久兵衛光正に授けられ。死刑に定まりしものあらば此刀にて試みよ。もしさるものなくば。試るに及ばずと命ぜらる。光正久大夫と共に刑場にゆき。やがてかへりきて。仰のごとく罪人をためしつるに。心地よく土壇まで切込しと申上れば。枕刀にかへ置とのたまひ。二振三振打ふり給ひ。剣威もて子孫の末までも鎮護せんと宣ひ。榊原内記清久に。のちに久能山に収むべしと仰付らる。……

……十七日すでに大漸に及ばせられんとせしとき。本多上野介正純めして。将軍家早々渡らせ給へと仰られしが。またそれに及ばずとの上意にて。わがなからん後も。武道の事いさゝか忘れさせ給ふなと申上べしと宣ふを御一期とせられ。清久が膝を枕としてかくれさせ給ひしとぞ。……

……また東国の方はおほかた普第のものなれば。異図あるべしとも覚えず。西国のかたは心許なく思へば。我が像をば西向に立置べしと仰置れ。かの三池の刀も。鋒西へむけて立置れしとなり。

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