大河ドラマではどう描かれる?徳川家康の最期を『葉隠』はこう伝えた【どうする家康】 (1/4ページ)

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大河ドラマではどう描かれる?徳川家康の最期を『葉隠』はこう伝えた【どうする家康】

元和2年(1616年)4月17日、徳川家康は75歳で世を去りました。

人質の身分から永年の苦節を乗り越え、遂には江戸に幕府を開き天下人へと上り詰めた波乱万丈の生涯は、今も多くの人々から畏敬されています。

ご存知徳川家康。波乱の生涯は今も人々を惹きつけてやまない。

よくその死因について「鯛の天ぷらを食べ過ぎた」と言われますが、実際に亡くなったのは天ぷらでお腹を壊してから数か月後ですから、ちょっと考えにくいでしょう(実際にはガンなど諸説あり)。

さて、病床に伏せった家康がいよいよ身罷ろうとしていたその時。彼は何をしたのでしょうか。

御陣刀にて罪人御切らせ、血附き候儘にて……

九九 権現様御神號は、御存生の内の御願ひにて候。於遺言に任せ、御陰骸甲冑御帯し御棺に入らせられ、久野山に御納め、後に日光山御移り遊ばされ候。又御病中四月十三日に、御陣刀にて罪人御切らせ、血附き候儘にて久野御宮御神體になされ候。「東国は皆手に入り、死後にも別條あるまじく候。西国心元なく、切先を西国の方へ向け込み置き候様に」仰せ付けられ候由。

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