前代未聞の征夷大将軍襲撃・暗殺事件!「永禄の変」はなぜ起こったか【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

足利義輝(Wikipediaより)

父である義晴から将軍職を譲られた時はまだ11歳で、その就任式も京ではなく、亡命していた近江で行われたのです。義輝も義晴も、三好長慶との対立により京を追われていたのでした。

そんな状況下での将軍就任でしたが、後に義晴が逝去すると、義輝は京へ戻ることを狙って三好長慶と争います。しかしそのたびに敗北しては近江へ亡命することを繰り返し、ようやく長慶との和睦が成立したのは1558年のことでした。

「まとも」な将軍

復帰後の義輝は将軍として孤軍奮闘し、何とかして社会秩序を取り戻しつつ将軍職の権威を回復させようと努めています。

とにかく当時の世の中というのは「めちゃくちゃ」でした。あらゆる名門の大名家が家来によってぐちゃぐちゃになっており、あっちは家督争い、こっちは下剋上、泥沼の陣取り合戦を続ける連中がいるかと思えば関東は北条と上杉によってめちゃくちゃ、という状況だったのです。

しかもそれらの原因を作ったのは足利義政に義教と、歴代の将軍にありました。義輝はこうした事態へ責任感を持って対処していたのです。

そこで彼が行った施策としては、例えば長年争った三好長慶をはじめとする三好一門を厚遇して、対立することなくうまく臣下に組み込んだことが挙げられます。

さらに、武田信玄と上杉謙信の争いのほか、多くの大名家で起きていた争いを調停しました。

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