「どうする家康」秀頼公、いまだ着陣せず!関ケ原の戦いにおける三成・吉継ら、西軍首脳部の誤算【中編】 (4/4ページ)
徳川家康が関ケ原方面に進出したという報を受けた石田三成・宇喜多秀家ら西軍の大軍は、急ぎ大垣城を出て関ケ原に布陣します。これは夜間、それも雨が降りしきる中での高速移動でした。
この時、西軍首脳たちは「してやったり」という思いでいたのでしょう。自分たちが敷いた必勝の布陣に家康が嵌ったのです。戦いの機は熟しました。しかし、ある1点を除いては……。
【中編】はここまで。最終回の【後編】では、必勝を期して関ケ原に布陣した西軍が直面した誤算と、それがもたらした敗戦についてお話しします。
※参考文献:新説戦乱の日本史[最新研究]SB新書
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