「一方的な援助ではなく持てる力を交換する生活を書きたかった」津村記久子さんインタビュー(1) (3/4ページ)
ただ、ヨウムの「ネネ」をもらってきたおじいさんの話はいつか書きたいですね。
――都会から特急で郊外に一時間ほどの場所が舞台となっています。どことなく秩父を想像したのですが、モデルとなった場所はあるんですか?
津村:どこにでもあるような「都会から特急で一時間から二時間くらいの場所」ということで、そこは読者の方々がそれぞれに想像していただけばいいと思いますが、名古屋と長野県の塩尻を結ぶ特急「しなの」の沿線がモデルになっています。
私は2015年から2017年にかけてサッカーのサポーターの小説を書いていて「松本山雅FC」とか「ヴァンフォーレ甲府」を取材する時に「しなの」に乗ってたんですが、車窓から見える渓谷の風景が大好きで、750枚書くとなった時に、長野とか「しなの」の沿線のことなら書けると思ってモデルにしました。傾斜の多い土地なのできっと水車もあるだろう、ということで。
――18歳と8歳の姉妹が、母親とその再婚相手への反発から、家出ではなく「独立」という形で、舞台となる町に移住して、地域に根を張っていくストーリーです。姉妹をはじめ各登場人物が様々な人と関わり、助けたり助けられたりしながら生きていく姿は、人間の生活の原点を見るようでした。この作品を通して津村さんが表現したかったことを教えてください。
津村:先ほどのお話にもありましたが、まず水車ありきで始まった小説で、水車の周りにはどんな人が集まるのか、という風に想像して登場人物を作っていきました。
特に「人間のこういう部分を書きたい」という思いがあったわけではありません。ただ、自分が「水車小屋の番人」を描くとしたらどんな人だろうと考えた時に、血縁に恵まれないというか実家を頼れなかったり、親が力になってくれない人が想像できたので、そういう人が無理のない範囲の親切をいろんな人にもらうことによって、次第に自分も誰かに何かを与えられるようになり、しっかり生きていく姿を書きたいとは思っていました。