鬼柴田・甕割り柴田・知恵柴田…織田信長に仕えた猛将・柴田勝家のあだ名を紹介!【どうする家康】 (3/4ページ)

Japaaan

知恵柴田(ちえしばた)

喜多川歌麿「柴田修理進勝家」

時は天正3年(1575年)、越前国で勃発した一向一揆を一年ほどで鎮圧した柴田勝家。再び農民らが武装蜂起しないよう、刀狩りを実行しました。

しかし、いまだ反抗心の消えぬ領民たちは納得しません。そこで勝家は提案します。

「これより九頭竜川に舟橋をかける。その鎖として使うから、鉄として刀を供出してくれ」

九頭竜川は流れが荒く、しばしば人馬が流されていました。それが安全に渡れるようになるなら大歓迎です。

こうして越前の領民は喜んで刀を差し出し、暮らしを安んじた勝家の知恵は長く讃えられたのでした。

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