家康をはじめ戦国武将は泣いてばかり?武士たちの男泣きエピソード3選【どうする家康】 (2/5ページ)

Japaaan

主君の無事を喜ぶ兵(つわもの)たち……『今昔物語集』より

平維茂。月岡芳年筆

……今ハ四五十町許も行ぬらむと思程に我が郎等共の外に有る三四十許走らせ来たり此の焼頭を見て音を合せて泣事无限り馬兵五六十人計ハ来たりとと思ふ程に餘五音を叫て我れハ此れにそ有るを兵共此れを聞て馬より丸ひ落て喜ひ泣き爲る事初の叫めきに不劣……

※『今昔物語集』巻第二十五「平維茂罰藤原諸任 第五」

時は平安時代中期の長徳4年(999年)ごろ、豪族の平維茂(たいらの これもち)がライバルの藤原諸任(ふじわらの もろとう)により焼討されてしまいました。

家臣団は壊滅状態、平維茂も行方不明となってしまい、生存は絶望的。しかし、悪運の強い平維茂は生き延びていたのです。

「あぁっ、御館様はご無事なるぞ!」

火事で髪はちょっとチリチリ(焼頭)になっちゃったけど、間違いなく我らが餘五将軍(よごしょうぐん。平維茂の二つ名)は生きていました。

「者ども、わしはここにおるぞ(我れハ此れにそ有る)!」

「「「良かったー!」」」

郎党たちの喜びようと言ったら、文中「馬より丸ひ(まろび=転び)落て喜ひ泣き」つまり感激のあまり、馬から転げ落ちて嬉し涙にむせんだと言うのです。

お前らどんだけご主人様大好きかよ……それだけ平維茂に対する絶大な信頼があったのでしょう。

さぁ、大将さえいればこっちのもの。お楽しみはこれからだ……という訳で、平維茂は見事にリベンジを果たしたのでした。

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