家康をはじめ戦国武将は泣いてばかり?武士たちの男泣きエピソード3選【どうする家康】 (4/5ページ)
「我らが神の君」も感涙にむせぶ……『徳川実紀』より


今川の監視をくぐり抜け、せっせと蓄え続けた鳥居忠吉(イメージ)
……忠吉は君の御手をとり。年頃つみ置し府庫の米金を御覧にそなへ。今よりのち 我君良士をあまためしかゝへたまひ。近国へ御手をかけたまわんため。かく軍粮を儲置候なりと申ければ。 君御涙を催されその志を感じたまひぬ。……
※『東照宮御実紀(徳川実紀)』巻二 弘治二年「鳥居忠吉密貯 銭献元信」
第3回放送「三河平定戦」で鳥居忠吉(演:イッセー尾形)が家康のために軍資金や武具兵粮を蓄えていたシーンです。
「これで戦さができるぞ~!」「♪え~び~すくい、えびすくい……♪」「よーし、わしも……」「やめとけ爺、死ぬぞ!」
なんてコミカルに描かれていましたが、ちょっと考えてください。
かつて、三河の松平領は今川家の統治下にありました。家康(当時は元信)が独立・挙兵するための軍資金や物資を無断で蓄えることなど、許すはずがありません。
つまり犯罪です。もし見つかれば、最悪処刑も当然あり得るのです。
しかもそれだけのリスクを冒しても、肝心の家康が「挙兵?そんなことしたくないよ」と言い出す可能性も否定できません。
何より忠吉はじめ三河家臣団は生活苦にあえいでいました。中には「そんな使うアテも定かでない貯蓄をするより、目先の食い扶持に当ててくれよ!」そう思った者もいた筈です。
※80過ぎた老人が、たった一人で重い銭や武具兵粮を運べたとは思えません。
そこまでして自分に期待し、支え続けてくれた忠吉らの忠義に感激した家康は、感動の涙を流したということです(そういう名場面を観たいのです)。