これぞシン・忠臣蔵!?討ち入り後の赤穂浪士が主君の墓前で果たした「儀式」とは (1/3ページ)

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これぞシン・忠臣蔵!?討ち入り後の赤穂浪士が主君の墓前で果たした「儀式」とは

シン・忠臣蔵!?

赤穂浪士が討ち入りを行った、通称「赤穂事件」は、日本人なら誰もが知っているドラマです。

赤穂大石神社「赤穂四十七義士」

しかし、まだまだ実像が明らかになっていない部分も多いようで、歴史学者の磯田道史『日本史を暴く』という著作の中で、当時の赤穂浪士たちの知られざる「ラストシーン」があったことを説明しています。

磯田は古文書を丹念に解読していく研究スタイルで有名ですが、滋賀県の旧家で、赤穂事件にまつわる古文書を見出しています。

その古文書を書き残したのは、赤穂浪士の一人である近松勘六です。彼は浪士たちの中でも特に記録係としての能力が高かったらしく、討ち入り直後に傷を負ったにもかかわらず、記録をきちんと書き残しています。

例えば、討ち入り時の浪士たちの成果や、彼らが吉良の首を泉岳寺に持っていった時の経緯は彼が記録したものです。

滋賀県で発見された古文書には、討ち入りを果たした浪士たちが、吉良の首を泉岳寺へ持参した「その後」の行動が記録されていたそうです。そしてその行動というのが、赤穂事件の「新たなラストシーン」にふさわしいものだったのです。

墓前での儀式

文書によると、浪士たちは亡き浅野内匠頭の墓前で一人ひとり名乗って奉告(神様などに謹んで告げること)を行っています。

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