渦中の城を守った武将!!「長篠の戦い」の発端となった長篠城を守備した奥平信昌の生涯を紹介【どうする家康】 (2/4ページ)
しかし、武田家と内通していたこともあり、味方の遠山氏が惨敗した様子を見て、戦わずに撤退。以降は武田氏に仕えました。
亀姫との婚姻と前妻の処刑
元亀4年(1573)、武田信玄が病死すると、家康は奥平氏を再び味方に引き入れるべく、使者を送ります。色よい返事が返ってこなかったので、家康は信長に相談し、家康長女の亀姫と信昌を婚姻させるよう提案されます。
その提案に従い、2人は婚姻を結び、奥平氏は再び家康の家臣となりました。
信昌には、亀姫の前におふうという武田氏に人質に出していた妻がいましたが、今回の婚姻で強制的に離縁となります。そして、武田勝頼は信昌の行為に怒りを示し、おふうと信昌の弟・仙千代を見せしめとして処刑しました。