織田信長が茶の湯を学んだ天下三宗匠の一人・今井宗久とは何者?【どうする家康】 (2/3ページ)
最初は清和源氏を称していたのが、後に同姓つながりで今井兼平の子孫に鞍替えした(名前に今井の通字である兼を入れた)のかも知れません。
後に和泉国・堺へ移住して納屋宗次(なや むねつぐ)の世話になり、天下に名高い茶人・武野紹鴎(たけの じょうおう)から茶の湯を学びました。
多くの弟子たちに抜きんでて才覚を示した宗久は武野紹鴎に見込まれてその娘婿となり、武野家の家財や茶道具などを譲り受けたそうです。
武野紹鴎の後継者として名声を高めた宗久は、茶の湯を通じて各地の大名と交流を深め、足利義昭(演:古田新太)に近侍したと言います。
やがて上洛を果たした織田信長が、堺の商人たちに矢銭(軍資金)を要求すると、いち早くこれに応じました。
これによって信長とのつながりを得た宗久は交易や銀山経営、火縄銃や火薬の製造に携わるなど強大な権益を獲得します。
かくして信長の天下布武を支えながら茶頭(さどう)として存在感を示し、千利休(せんの りきゅう)・津田宗及(つだ そうぎゅう)と共に天下三宗匠と称されたのでした。
エピローグ信長の死後は織田政権を乗っ取った羽柴秀吉(演:ムロツヨシ。豊臣秀吉)に仕え、御伽衆として天正15年(1587年)の北野大茶会などにも協力しました。
しかし既にピークは過ぎていたようで、同僚であった千利休や後進の小西隆佐(こにし りゅうさ)に取って代わられ、ほどなく引退。
そして文禄2年(1593年)8月5日に74歳で世を去ったのでした。