【築山殿事件】松平信康には男児がいた?『系図纂要』に記された松平万千代の正体は【どうする家康】 (3/6ページ)
もし母親が信康の在世中に万千代を産んでいれば、信康の自刃に連座して殺されたと思われます。武田家にゆかりの深い男児など、生かしておいて徳川家に何の得もありませんから。
※家系図などにおける「童」という表記は、多くの場合「元服せずに亡くなった」ことを意味します。
しかし仮に母親の妊娠中(未発覚)に信康が自刃、実家へ追い返された後に彼女が万千代を産んでいたら、どうなったでしょうか。
武田家の滅亡に際して命を落としたかも知れませんし、あるいは生き延びた可能性も否定できません。
九分九厘前者(武田の滅亡時に殺された)でしょうが、実は万千代が生き延びていた可能性について、少し考えてみたいですね。
【仮説】松平万千代は武田信吉になった?そこで「松平万千代」と調べてみたところ、幼名を「万千代」と称していたのは以下の二人。
松平信吉(のぶよし。家康の五男、武田信吉) 松平信吉(読み同じ。藤井松平家第3代当主)※どっちも同姓同名で紛らわしいため、以下前者を武田信吉とします。
武田信吉は天正11年(1583年)生まれ、松平信吉は天正10年(1582年)生まれ。松平万千代と若干のズレはあるものの、武田家の滅亡に際して家康が匿っておき、信長の死後にそれとなく世に出したのかも知れません。
「ん。