【築山殿事件】松平信康には男児がいた?『系図纂要』に記された松平万千代の正体は【どうする家康】 (4/6ページ)
万千代君(ぎみ)は、ご年齢に比していささか発育がよいような……」
「左様か?気のせいじゃ気のせい!ははは……」
特に自分の子である武田信吉なら、あまり人目につかせず囲っておけましたし、大きくなってしまえば年齢の2~3歳くらい容易にごまかせたことでしょう。
信康の遺した男児であり、武田家とゆかりのある万千代。後に穴山勝千代(あなやま かつちよ。穴山梅雪の子)の養子となって武田の名跡を継いだ……のかも知れません。
ちなみに、史料から確認されている武田信吉は家康と側室・下山殿(しもやまどの。武田一門・穴山虎康の娘)の間に生まれたとされています。
一度は武田家を再興させましたが、病弱だったのか子供のないまま慶長8年(1603年)9月11日に死去。再び武田家は断絶してしまったのでした。