【築山殿事件】松平信康には男児がいた?『系図纂要』に記された松平万千代の正体は【どうする家康】 (5/6ページ)

Japaaan

終わりに

姑にいびられ、夫に疎んじられる五徳の憂鬱(イメージ)

信康 竹千代
永禄二年三ノ六生元亀二年八ノ廿八元服信長之一字契約源二郎三郎信康
天正七年九ノ十五自刃于二股城廿一……

【意訳】松平信康。幼名は竹千代、永禄2年(1559年)3月6日生まれ。
元亀2年(1571年)8月28日に13歳で元服、舅の信長から信の字をもらって源二郎三郎信康と名乗った。
天正7年(1579年)9月15日に二俣城で自刃した。享年21歳。

母築山殿関口刑部少輔氏廣女
天正七年八ノ廿九自刃……

【意訳】信康の母・築山殿。関口氏広(せきぐち うじひろ。刑部少輔)の娘。信康に先立ち8月29日に自刃した。

女 福子
母信長女徳子 寛永十三五ノ十卒五十八見星院香厳寿桂
小笠原兵部大輔秀政室慶長十二年十ノ十八卒……

【意訳】信康の長女・福子。母は信長の娘・徳子。小笠原秀政(おがさわら ひでまさ。兵部大輔)の妻となった。慶長12年(1607年)に亡くなった。

女 国子 母同
本多美の守忠政朝臣室寛永三年六ノ廿五卒……

【意訳】信康の次女・国子。母は姉と同じ。本多忠政(ほんだ ただまさ。本多忠勝の子・美濃守)の妻となった。寛永3年(1626年)に亡くなった。

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