「どうする家康」なぜ戦うのか?瀬名が夢見る「慈愛の国」壮大なる築山の謀とは…第24回放送「築山へ集え!」振り返り

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「どうする家康」なぜ戦うのか?瀬名が夢見る「慈愛の国」壮大なる築山の謀とは…第24回放送「築山へ集え!」振り返り

なぜ戦をするのか。それは貧しいからだ。

民が飢えれば隣国より奪い、奪われれば奪い返す。いかなる犠牲を払おうと、戦わねば屈従あるいは死あるのみ。

しかし瀬名(演:有村架純。築山殿)は言います。互いの持つものを融通し、与え合い、助け合えば戦はなくなると。

徳川家康(演:松本潤)と武田勝頼(演:眞栄田郷敦)をはじめ、北条・上杉・伊達など東国諸大名がみなで手を組めば、織田信長(演:岡田准一)とて恐るに足らず。

そして独自の経済圏を形成し、慈愛に満ちた平和な国を創ろう……云々。

……きっと筆者も、酒井忠次(演:大森南朋)や石川数正(演:松重豊)と同じ表情をしていたことでしょう(その意味するところを、どうかどうかお察し下さい)。

「戦うフリ」言うのは簡単ですが、兵を動員すればそれだけ飯も食いますし、給金も出さねばなりません(まさか各員の自腹とは言いますまいね?)。そういう「経済的根拠」に乏しいと、どうしてもリアリティに欠けてしまいます。徳川家って、そんなにお金持ちでしたっけ?他にも情報統制の難しさとか言い出したら以下略

あのですね皆様。武田と戦っている振りをして時間を稼ぎ、東国諸大名が連携する……そんな壮大な茶番劇が、本当にバレないと思いましたか?そして2年間もバレなかったって、信長の眼は節穴ですか?

「水野のようなことは、あれきりにしたいものよ」

なんて意味深なセリフを吐くくらいだから、充分に徳川領を警戒していたと思っていたのですが……ともあれ、勝頼の裏切りによって発覚した「築山の謀(はかりごと)」。

やっぱり武士は戦ってナンボ、俺は亡き父・武田信玄(演:阿部寛)を超えたいんだ……というごく健全な戦国的野心によって、瀬名の「夢」はあっさり崩壊してしまいました。そりゃそうですよね。

さて。どこからツッコm、もとい解説を入れたものか……こういう「ほぼ丸ごとフィクション」な回はリアクションに困るのですが、今週も振り返っていきましょう!

「越後の龍」上杉謙信、死す!後継者争いに、どうする勝頼?

劇中では微塵も触れられていませんでしたが、天正6年(1578年)3月13日に「越後の龍」と恐れられた上杉謙信(うえすぎ けんしん)が病没しました。

謙信には子供がおらず、後継者の座を巡って養子の上杉景勝(かげかつ)と上杉景虎(かげとら)の争いが勃発。世にいう「御館(おたて)の乱」です。

上杉景勝は謙信の甥に当たり、上杉景虎は坂東の雄・北条氏政(ほうじょう うじまさ)の弟。

武田家としては、北条との同盟関係を重視して景虎に味方するのが順当と言えます。

しかしここで景虎が上杉家を継いでしまうと、武田領の東側を北条&上杉に抑えられてしまう形に。

もし上杉が親・北条になったら、北と東を抑えられ「楯」にされてしまう(イメージ)

それでは武田家が北条にとって「将来的な対・織田の楯」にされかねません。

ならばむしろ景勝に味方して武田&上杉で北条を北と西から抑えたい。そう勝頼は思いました。

するとそんな勝頼の野望を見透かしたように、景勝が悪魔の声でささやきます。

「もし今回味方してくれたら、上杉家は武田に臣従しますよ(意訳)」

かつて亡き父・信玄が五度にわたる死闘を繰り広げても倒せなかった上杉家を下せると聞いて、勝頼は誘いに乗ってしまいました。

果たして翌天正7年(1579年)3月に乱は終結。勝頼のお陰で景勝は見事に勝利を収めたのです。

しかしこれでめでたしめでたしではなく、当然ながら北条氏政は大激怒。

さっそく家康と組んで勝頼を東西から挟撃、武田家をジワジワと苦しめていくことになります。

目先の欲に目が眩み、東西に敵を作ってしまった勝頼(イメージ)

ところで劇中では長篠の惨敗以降、もはや戦う力も残っていないような口ぶりでした。

しかし実際に武田家を滅ぼしたのは外交の失策によるところが大きく(もちろん他にも諸要因があります)、目先の欲に目がくらんで判断を誤ってしまったようです。

実は生きてた大鼠。彼女たちのモデルは神谷権六?

第16回放送「信玄を怒らせるな」で、武田家へ人質に出していた久松源三郎こと松平勝俊(演:長尾謙杜)の救出作戦で負傷してしまった大鼠(演:松本まりか)。

劇中ではいかにも死んでしまったように演じられていましたが、生きていたんですね。

本作名物、いつもの死ぬ死ぬ詐欺かとは思いつつ、ともあれ命があって良かった良かった。

しかし斬られた後遺症でクナイ(飛刀)も満足に投げられなくなっており、鬱々と暮らしていた彼女に、服部半蔵(演:山田孝之)が一言。

実際の半蔵はこんなことを言っていません。ご安心下さい(画像:Wikipedia)

「俺の命じた任務で怪我をさせてしまった責任もあるし、お前のような女を娶る男もいなかろうし、おなごの幸せは男に可愛がられることであろう(意訳)」

……要するに極めて雑なプロポーズのようですが、差し出された花にかじりつき「殺すぞ」と一言。

彼女にしてみれば、これまで十数年(※)にわたり忍びのプロフェッショナルとして生きてきた誇りを踏みにじられた思いでしょう。

(※)記憶の限りでは、彼女の初登場=仕事始めは第6回放送「続・瀬名奪還作戦」。死んだ父・大鼠(演:千葉哲也)の後釜として、永禄5年(1562年)の上ノ郷城攻めに参加しています。

半蔵のセリフは、要するに「もうお前は使いものにならないから、俺が養ってやるよ」と言っているようなもの。

彼女にしてみれば、頼りないけど仲間として一緒に戦ってきた半蔵からそんなことを言われるのは、屈辱を通り越して殺意が湧いたかも知れませんね。文字通り○ってしまえばよかったのに……。

現代に喩えればクライアントに仕事はないか尋ねたら、クライアントから口説かれたようなもの。仕事人に対して、とんでもないパワハラ&セクハラ&モラハラの三連コンボです。

※実際の服部半蔵はこんなこと、言っていません(少なくとも、そのような史料は見つかっていません)。ファンの皆様はご安心下さい。

大鼠こと神谷権六(イメージ)

まぁ気を取り直して、そんな大鼠にはモデルがいまして、その名を神谷権六(かみや ごんろく)と言いました。

大鼠と異名をとった権六は、大村高重(おおむら たかしげ。弥兵衛)の配下として高天神城の攻略に参加しています。

……高天神落城之時弥兵衛家来神谷権六林藤内ヲ初三十六人忍之者ヲ召連御先手ニテ相働申候……

※『南紀徳川史』

弥兵衛は神谷権六・林藤内(はやし とうない)はじめ忍び36名を率いて城内へ潜入、大いに武功を立てたことでしょう。

もし高天神城の攻略を割愛しないのであれば、この戦いで大鼠を討死させる展開も考えられます。

「実はお前(半蔵)のことが嫌いではなかった」

怪我によって不覚をとり、半蔵の腕に抱かれて息を引き取る。そんな場面が目に浮かびました。

※あくまでも筆者の予想です。演者さんのスケジュールが許すなら、まだまだ活躍するでしょう。

信康と五徳の娘たち。登久姫と国姫

さて、松平信康(演:細田佳央太)と五徳(演:久保史緒里)の間には二人の娘が生まれていました。

その名前は登久姫(とくひめ)と国姫(くにひめ)。可愛いかったですね。

あどけない登久姫と国姫(イメージ)

姉の登久姫は天正4年(1576年)生まれ。4歳で父が自刃すると母に捨てられ(一人で織田の実家へ帰ってしまい)、家康と西郡局(演:北香那。お葉)に育てられました。

やがて天正17年(1589年)に14歳で家臣の小笠原秀政(おがさわら ひでまさ)に嫁ぎました。

可愛い孫娘のお陰で秀政は順調に出世を果たし、関ヶ原の合戦で武功を立てて信州飯田五万石の大名となります。

そして慶長12年(1607年)に32歳で世を去りましたが、秀政との間にさずかった6人の息子たちはみんな活躍したそうです。

妹の国姫は天正5年(1577年)に誕生しました。幼少期は姉と一緒に育ち、天正18年(1590年)に本多忠政(ほんだ ただまさ。本多忠勝嫡男)の元へ嫁ぎました。

本多も小笠原も、家康にとって信頼出来る忠義の家臣。可愛い孫娘を安心して預けられたことでしょう。

国姫は忠政との間に二女三男をさずかり、こちらの子たちもそれぞれ活躍します。

娘の亀姫(かめひめ。當真あみ演じる大叔母とは別人)が小笠原家に嫁ぐなど、姉妹同士も交流があったようです。

そして寛永3年(1626年)に50歳で世を去ったのでした。

大河ドラマではそこまでやらないでしょうが、彼女たちの幸せな人生を心から願っています。

ちなみに密告で信康を死に追いやり、さっさと織田家へ帰ってしまった五徳について、家康が疎略に扱ったのは言うまでもありません。

家康の三男・長丸(徳川秀忠)誕生!しかし……

さて、家康たちが和気あいあいと戦争ごkk……もとい「築山の謀」を楽しんでいた天正7年(1579年)。安土城では、信長様がご立腹です。

「まだ高天神城も落とせんのか!」

お目付け役の職務怠慢を責められ、震え上がる佐久間信盛(演:立川談春)の背後には、歴史的に有名な安土城の天守閣……え、ここはどこですか?

安土城の天守閣。あの大きさの建造物を、劇中のアングルで見られる場所がどこかにあったのだろうか(画像:Wikipedia)

山頂に建つ安土城の天守閣(約32メートル)がほぼ丸ごと見えているということは、かなり離れているはずです。標高もかなりありそうです。

まぁ、現存していない場所に謁見の間みたいなものがあったのでしょう。そういうことにしましょう(もしかしたら、そういう新史料が発見されたのかも知れません)。

ところで信長が安土城に入ったのは天正7年(1579年)5月。ということは、家康ファミリーにもちょっと変化があった筈です。

そう、側室に迎えた於愛の方(演:広瀬アリス。西郷局)が、4月7日に家康の三男・長丸(ちょうまる。後の徳川秀忠)を産んだのでした。

……七年の卯月七日に浜松の城にしては三郎君生れたまふ。是ぞ後に天下の御ゆづりをうけつがせ給ひし   台徳院太政大臣の御事なり。御母君は西郷の局と申。さしつづき翌年この腹にまた四郎君生れ給ふ。是薩摩中将忠吉卿とぞ申き。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正六年-同七年「天正七年秀忠生」

この「台徳院太政大臣」というのが徳川秀忠(ひでただ)。今回の終盤(謀が洩れた時点)では既に生まれているはずですが、なぜか登場していませんね。当時の徳川家はお祝いムード真っただ中だったと思われますが……。

今から悲劇が予定されているので、素直に喜べないのでしょうね。そのご都合主義、よく解ります。

せっかく信康が後継者の座を譲り、出家遁世できる男児が生まれたというのに、もっとお祝いしてあげて欲しいですね。

第25回放送「はるかに遠い夢」

なぜ戦をするのか。愛する瀬名の問いに「我らが神の君」は何と答えたか。

「考えたこともなかった」……皆さん、ツッコミの準備はいいですか?

殿、「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の旗印は飾りですか?デカデカと書いてある言葉の意味は覚えていますか?

「(厭離穢土 欣)求浄土」の旗印。これでは亡き師・登譽上人(演:里見浩太朗)もお嘆きである(イメージ)月岡芳年筆

アンタ今まで「民を救うため」「この世を浄土にするため」に戦ってきたんじゃないのかいっ!

「生まれた時から戦ばかりだから、当たり前に戦ってきた」確かにそりゃそうでしょう。でもどこの大名だって「なぜ戦うか」くらいは考えています。

なぜ国家が存在し、存続させねばならないか。そうしなければ生きていけない(殺される)からです。だから殺し殺されるリスクを厭わず、家臣を死地へ駆り立てるのが上に立つ者の務めというもの。

人の生き死にを預かる大将として、あまりに不覚悟ではありませんか。これでは今まで討死してきた者たちが報われません。

まったく左衛門尉や石川数正は、これまで殿にどんな教育をしてきたのか。彼らと膝詰めで小一時間ほどお訊ねしたく思います。

そして瀬名。劇中ではみんな魅入られたように賛同していきましたが、これもいつぞや描かれたカルト宗教の怖さを表現したものでしょうか。

どうしてあんな「脳内お花畑な有閑マダムの妄想ユートピア計画」に、雁首そろえて魅入られたのか、まったく狐につままれたような気分です。

理想論を語るようでいながら、実はみんなを破滅に導こうとしていた?瀬名(イメージ)

……そうか、つまり瀬名は聖女に見えて実は皆をたぶらかす女狐だったのですね。きっとそういう深い考えあってのキャラ造形だったのでしょう。そう思うことにしました。

という訳で、次週の第25回放送は「はるかに遠い夢」。いよいよ瀬名が処刑され、信康が自害する築山殿事件。聖女瀬名の殉教シリーズ最終章となります。

平和を愛する瀬名の想いが、家康をして戦国乱世に終止符を打つ……そんな感動のシーンが繰り広げられることでしょう。次週も目が放せませんね!

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 後編』NHK出版、2023年5月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション 岡本八重子 編『週刊新説戦乱の日本史 伊賀忍者 影の戦い』小学館、2008年1月 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社、2022年10月 高柳金芳『徳川妻妾記』雄山閣、2003年8月 瀧澤中『「戦国大名」失敗の研究 政治力の差が明暗を分けた』PHP文庫、2014年6月

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