徳川家康、食い逃げを追及される!?おいしそうな地名「小豆餅(あずきもち)」の由来にまつわる二つの説を紹介 (2/3ページ)
しかし、その場で次々に奇妙な現象が発生したため、晴久はその場から逃げます。すると茶店の娘が追いかけてきて、逃げ続けると今度は大男が追いかけてきました。
彼がやっと町外れまで逃げてその話をすると、なんと「あんなところに茶店などない」と言われます。
後日、晴久が家来と共にその場所を訪ねるとそこには草が生い茂っており、しかも三方ヶ原の戦いで死んだ者たちの人骨が散乱していました。
そこで、晴久は人骨を集めて、小豆餅を供えて弔いました。これがもうひとつの説です。
三方ヶ原の戦いとの関係小豆餅という地名の由来について、有名な二つの説をご紹介しましたが、どちらかが本当なのか、その真相ははっきりしていません。
ただ、少なくとも前者の「徳川家康食い逃げ説」は後世の創作の可能性が高いとされています。そもそも三方ヶ原の戦いが起きた時代は、その地域には水源があまりなく、そこで茶店を営業するのは難しかったはずです。
また後者の「戦死者弔い説」も、怪談が交ざっているため、これが本当だと断じるのも難しいと言えるでしょう。