武田に見切りをつけた武将!信玄と勝頼を支えた外交官・穴山信君の生涯を紹介【どうする家康】 (3/4ページ)
武田家に見切りをつけ始める
信玄亡き後は勝頼に仕え、天正3年(1575)の長篠の戦いに出陣。武田信繁の次男・武田信豊と中央に布陣しました。信君は戦いに挑むことを反対していましたが、勝頼は戦う姿勢を崩しませんでした。
この時から2人の関係に綻びが見え始めていきます。
そして天正9年(1581)、出家により名を梅雪斎(ばいせつさい)と改めた信君は、家督を譲った嫡男の穴山勝千代と勝頼の娘との婚姻を反故されたことに激怒。武田を裏切る決意を固めました。
裏切りと非運な最期天正10年(1582)の甲州征伐の際、甲斐一国の拝領と武田の名跡継承を条件に、信君は織田信長に降りました。この時に、人質だった正室の見性院と勝千代を奪還しています。