武田に見切りをつけた武将!信玄と勝頼を支えた外交官・穴山信君の生涯を紹介【どうする家康】 (4/4ページ)

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信長は武田家を滅亡させると、信君を家臣に認めると共に家康の与力として任命しました

同年5月には信長に謁見のため、家康と上洛。堺遊覧後に京都に向かう途中で本能寺の変のことを知ります。

信君は家康と共に脱出を図りますが、宇治田原で襲撃を受け、死亡しました。信君の死因に関しては自害や、家康を疑い別行動を取った後に家康と間違われて落ち武者狩りに遭い殺害と諸説あります。

信君死後は勝千代が武田家の当主となりました。

最後に

武田家を武勇ではなく知略で支えた穴山信君。外交官として各国の情勢や状況を知っていたからこそ、勝頼に将来性の無さを見抜いていたと考えられます。

しかし、織田の家臣として新たな人生を歩む時に、死亡してしまうとは不運にも程があるかと思います。まさに裏切りの代償と言っても過言ではありません。

トップページ画像 右:大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより 

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