江戸吉原の三大景物の一つ『七月の燈篭』のもとになった太夫“玉菊”とはどんな遊女だったのか? (2/3ページ)
玉菊はその人柄も気前がよく、人々から大変敬愛された人物でした。
5代目奈良屋茂左衛門をパトロンにもち、そのぜいたくな暮らしぶりは数多くの伝説を生みましたが、大酒がたたり享保11年の3月に25歳という若さで亡くなりました。
玉菊灯篭
「五節句ノ内 文月」(部分)画:香蝶樓國貞 出典:都立中央図書館
玉菊のいた角町中万字屋では、新盆のときに玉菊の追善供養として切子燈篭を店に燈したところ、店はとても繁盛したと言われています。
そのためお盆の時期には吉原中の店中が切子燈篭を飾るようになったという説や、
玉菊を愛した有志の人々がお金を出し合い燈篭を飾ったのがはじまりという説もあります。