女が悪いか、男が流されやすいか…禁断の愛が生み出した平安初期の危機「薬子の変」 (1/2ページ)
歴史において、女性は表舞台に出てこない……。いつも政治を動かしているのは男性ばかり……。みなさんはそんなイメージを持っていませんか?
確かに、教科書に出てくるような人物には男性が多いかもしれませんが、その裏には女性たちの力が大きく影響していることも多々ありました。
今回は、平安時代初期、事件の中心となった女性の名前がついた「薬子の変」について詳しくご紹介していきたいと思います。
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桓武天皇が794年(延暦13年)、都を長岡京から山背国(やましろのくに:現在の京都市)に移し、「平和で安らかであるように」との願いから「平安京」と名付けました。桓武天皇の皇太子である安殿親王(あてしんのう)に輿入れすることになったのが、藤原薬子の長女でした。
長女の付き添いとして薬子自身も東宮に入ったのですが、ここで禁断の愛が生まれてしまいます。安殿親王はなんと輿入れしてきた長女ではなく、その母(つまり薬子)と不倫関係に陥ってしまうのです。これを知った桓武天皇は激怒。薬子は朝廷から追放されてしまいます。

