実は織田家を代表する気性の荒さ!?鬼武蔵・森長可の破天荒さがわかるエピソード3選【どうする家康】 (2/4ページ)
また、足止めしようとする町人たちにも町を燃やすと脅しをかけ、強行突破しました。
こうして信長の元に着いた折、関所であったことを説明した上で「切腹して詫びる覚悟」と伝えます。しかし、信長は長可の行動に対して大笑い。
「昔、五条橋で人を斬った武蔵坊弁慶がいた。お前も橋で人を斬ったのだから、弁慶にあやかって今後は武蔵守と名乗るように」と言いました。信長のこの発言によって、長可はお咎めない上に武蔵守を名乗る許可も得たのでした。
しかしながら、長可が武蔵守を名乗り始めるのは信長死後の天正11年(1583)のことです。創作ではありますが、エピソードから長可の気性の荒さと信長から寵愛されていたことがうかがえます。
甲州征伐で2度の軍規違反
次は天正10年(1582)の甲州征伐の頃。