実は織田家を代表する気性の荒さ!?鬼武蔵・森長可の破天荒さがわかるエピソード3選【どうする家康】 (3/4ページ)

Japaaan

25歳の長可は、先鋒部隊に同い年の団忠正と抜擢されます。2人は松尾城や飯田城といった武田が守る城を次々と落としていきました。

そして、仁科信盛が守る高遠城を攻める際、信長より織田信忠率いる本隊が到着するまで前進は控えるよう命令されていました

しかし、2人はそれを無視して鉄砲を撃ちかけ前進するという軍規違反を犯しました。これについて信長より書簡で注意を受けますが、9日後にも同じことを犯して再度信長に注意されるほど、血気盛さが目立った若武者でした

その後は信忠の本隊と合流し、高遠城を落城させています。

神蛇を喰らう

小牧・長久手の戦い/Wikipediaより

最後に紹介するエピソードは小牧・長久手の戦いの頃。羽黒の戦いで敗走した長可は、部隊編成の陣を張るため、二ノ宮の森の神社まで移動していました。そこに現れた神主からは「ここの神は穢れを嫌います。穢れ無き者以外は立ち去りなさい」と伝えました。

これを聞いた長可は「何を言っているんだこの神主は。不満があるなら鉄砲で撃ち抜くぞ!!」と激怒。

すると、長さ約3メートルの蛇が長可たちの前に現れました。「これがこの神社の御神体です!」と神主は伝えますが、長可は怯まず部下に命じて蛇を斬り刻みます。

そして、長可は刻まれた蛇を生のまま三口食べました。この様子に身の毛がよだった神主はその場から立ち去ったのでした。

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