「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道『男色大鏡』【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

さらに江戸時代に入ると武士社会のみならず町人や歌舞伎役者などの間にも浸透、「男色」は女性を愛することと同様、ごく普通のこととして広まったそうです。

見目麗しい若い役者が対象に

 野郎帽子(※)をかぶって正座する男性(写真:浮世絵サイト)※野郎歌舞伎の女形の役者が、前髪をそったあとを隠すために置き手拭 てぬぐ いをしたのが変化して帽子のようになった。

たとえば、見目麗しい若衆歌舞伎(※)の役者は、昼間は舞台を務め夜はご贔屓筋に呼ばれ性愛の相手を務めることが増えました。

女形の修行中に舞台に立つことのない少年を性愛の相手として呼ぶ料理屋や居酒屋など「陰間茶屋」も誕生。当初は芝居小屋と併設されていたものの、徐々に男色目的として独立し増えていったそうです。

※若衆歌舞伎:まだ前髪を剃り落としていない成人前の美少年が中心に演じる歌舞伎で、1652年(承応元年 徳川家綱が将軍の時代)には江戸で禁止になった。

浮世草紙『男色大鏡』には、男性である井原西鶴だからこそ描けた男性同士の濃密な世界が描かれています。

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