家康を暗殺せよ!豊臣方の陰謀を知って結城秀康(於義伊)はどうした?【どうする家康】 (2/4ページ)
その一つが、政権の実務を担っていた五奉行の一人・石田三成(治部少輔)に対する暗殺計画。彼は秀吉時代の汚れ役を一手に引き受け、それがために多くの恨みを買っていたのでした。
これを知った五大老の一人・徳川家康は血気に逸る者たちを説得します。
「確かに石田殿も、行き過ぎたところがあったかも知れない。なれば職を解いて、しばらく居城で謹慎させてはどうか」
家康がそう言うなら……ということで一命を取り留めた三成。しかし、本拠地である近江国佐和山城までの道のりも安心は出来ません。
「ならば、三河守に送らせよう」
勇猛果敢で知られる家康の次男・結城秀康(三河守)が手勢を率いて護衛を務め、それで三成は無事に佐和山城へ帰り着いたということです。
大坂城で発覚した家康暗殺計画。……太閤薨し給ひし後、宗徒の大名石田治部少輔三成を討んとす、徳川殿人々を制し玉ひ、三成職解て、おのが城に籠居すべきに極る、猶路の辺おぼつかなしとて、守殿して送られしかば、三成難なく近江国佐和山の城に入る、……
※『藩翰譜』第一 越前