家康を暗殺せよ!豊臣方の陰謀を知って結城秀康(於義伊)はどうした?【どうする家康】 (4/4ページ)
もし父上の武運が尽きておるなら、たとえ何百万騎の救援を差し向けようと無駄になる。逆に父上の武運が続くのであれば、いかなる死地も必ずくぐり抜けよう」
「しかし……」
「もし父上が敵に討たれた場合、ここ伏見は間違いなく標的になる。その時、次の手を打つためにも大番の軍勢は留めおかねばならぬ」
つまり「もし家康が討たれたら、それは運が尽きたまでのこと。ならば少しでも手元に兵力を残し、次の事態に備えよう」という構えに他なりません。
大坂より兵を差し向けられたら、どのように対処(あるいは応戦)するか……綿密な計画を練った秀康は、昭綱に指示しておいたということです。
終わりに……御家人等聞もあへず、鞭鐙を合せて、馳せ参る、大番の侍六番が其内、二番は既に御供に参る、残る所の四番をも、皆まゐらすべしとありしをば、守殿とめ置かれて、御運傾かせ給はんには、たとえ何百万騎を参らすとも、叶はせ給ふべからず、もし御大事あらんには、かくこそ仕るべけれとおもひて、大番の侍をば参らせず候とて、御勢配のやうを、一々に書記し、伊奈に給て帰されたり、徳川殿、あつはれ参河守は、父には生れまさりけりと、御感浅からず、……
※『藩翰譜』第一 越前
果たして家康は無事だったのですが(命を救われた石田三成が裏で手を回してくれたのでしょうか?)、後で秀康の態度を聞いて感心しました。
「天晴れじゃ。やはり三河守はわしの子じゃのう。我が将器をしっかりと受け継いでおるわい」
よく言うよ。厄介ばr、もとい養子に出したくせして……まぁ昔のことはさておきまして。
その後も大いに活躍する結城秀康のエピソード、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan