家康を暗殺せよ!豊臣方の陰謀を知って結城秀康(於義伊)はどうした?【どうする家康】 (1/4ページ)
徳川家康の次男として豊臣秀吉の養子に出され、続いて結城晴朝の養子にたらい回しされた結城秀康(於義伊丸⇒羽柴秀康⇒結城秀康)。
母親の身分が低かったため、父から認知してもらえず、幼少時代を過ごした於義伊。しかしやはり血は争えぬもので、家康譲りの豪傑ぶりを発揮したのでした。
今回はそんな秀康が父・家康の暗殺計画を知った時のエピソードを紹介したいと思います。果たして彼は、どんな対応を見せたのでしょうか。
羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】 秀吉も賞賛!於義伊あらため羽柴秀康16歳の無礼討ちエピソード【どうする家康】 秀吉亡き後、命を狙われる石田三成を護衛時は慶長3年(1598年)8月18日、天下人・豊臣秀吉が世を去りました。享年62歳。偉大なるカリスマの死は政権内に激震を走らせ、各所で不穏分子が蠢動します。