家康を暗殺せよ!豊臣方の陰謀を知って結城秀康(於義伊)はどうした?【どうする家康】 (3/4ページ)
そんな事があって、同年9月9日。家康は重陽の節句(菊の節句)をお祝いするため、大坂城へ参りました。
「徳川殿を生かしておけば、必ずや豊臣家に仇なす存在となろう」
「左様。無防備な今の内に、討ち取ってしまおうではないか」
そんな企みを聞きつけた者がいて、大急ぎで伏見城を守備していた秀康に通報します。
「何だと、それは一大事!」
通報を受けた徳川家臣の伊奈昭綱(伊奈図書)は、さっそく家康を護衛させるために人数を派遣したのでした。
……此年九月、徳川殿重陽の賀をせられんが為に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結構ありと、告け申ものあり、此時守殿伏見の城に留守せさせ給ふ、伊奈図書して、御家人等盡く参らせらるべきよし仰せつかはさる、……
※『藩翰譜』第一 越前
「我らが殿の一大事!」「それ急げ!」
家臣たちは話しを聞くもとりあえず、鞭と鐙を合わせて(必死に馬を駆り立てる表現)大坂城へと駆けつけます。
「申し上げます!大番(親衛隊)の六部隊中、二部隊がすでに出立。残る四部隊も支度が出来次第、出立いたします!」
駆け込んだ伝令の報せを聞いて、秀康は命じました。
「待て。残った部隊については伏見に留めおき、指示を待つよう命じよ」
「殿の救援には向かわせぬおつもりか?」
いぶかしむ昭綱に、秀康は説明します。
「よいか。
