デビュー51周年!吉幾三インタビュー「『俺はぜったい!プレスリー』は即興で生まれた」「最初は“吉幾造”だった」驚きの新事実 (2/3ページ)

日刊大衆

よく覚えやすくて、いい名前だと言われるんですが、今でも、どこかで「よし! 行くぞ!」なんて声が聞こえると、つい振り向いちゃう(笑)。

 名前は公表しても、顔は半年間出さない。それが、この曲の宣伝戦略でした。俺が歌っているのを知っていたのは斎藤さんと、当時所属していた事務所の社長とレコーディングスタッフ数名くらい。だから周囲の反応を見るのが面白かった。

 結局、正体を明かしたのはクラウン社内で行われたヒット賞の受章式。美川憲一さんや瀬川瑛子さんら、受賞者が座る椅子席が1つだけ空いていて、「吉幾三」の名前が呼ばれ、初めて壇上に上がったわけです。

 以来、それまで「山岡」と呼び捨てだった人が、急に「吉さん」と呼んだりね。態度がガラッと変わる人が、けっこういました。

ーー大金を手にした吉だが、借金を返済すると、お金はゼロ。しかし、「一発屋」では終わらなかった。

■「千昌夫さんは俺のことをベタボメ」

 曲が売れている頃、千昌夫さんから、「ぜひ会いたい」という連絡があったんですよ。でも、お互い忙しくて、なかなか会う機会がなかった。ようやくスケジュールの都合がついて、六本木のバーで会えたんです。そしたら、千さんは俺のことをベタボメ。

「最高だね、君は。俺も田舎のことを売りにして、いろいろ話してきたけど、君にはかなわない。君の頭の中には数十億円、数百億円の才能が眠っているよ」

 最初は、この人、何を言ってるんだろう、頭がおかしいんじゃないかと思いましたよ(笑)。でも、これをきっかけに千さんと酒を飲む機会が増え、自宅に招かれるようにもなりました。

 そんなある日、もし自分で作った曲があれば歌ってくれと言われたんです。

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