デビュー51周年!吉幾三インタビュー「『俺はぜったい!プレスリー』は即興で生まれた」「最初は“吉幾造”だった」驚きの新事実 (1/3ページ)

日刊大衆

画像はイメージです
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 今年、デビュー51年目を迎えた吉幾三。ギター1本抱えて青森から上京し、5年後にアイドル歌手としてデビューしたものの、泣かず飛ばず。芸名を変え、『俺はぜったい!プレスリー』で最初のブレイクを果たしたときには、すでに結婚して子どももいた。そこから『俺ら東京さ行ぐだ』『雪國』と国民的大ヒット曲を生み出すまでには、さらに長い歳月を要した。そんな波乱の芸能人生を熱く語ってもらった!

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 東京に出てきたのは、スターになりたい、歌をたくさんの人に聴いてもらいたいというより、お金を稼ぐには歌手になるしかないと思っていたからです。デビュー前には板前見習い、パチンコ店の店員、トラックの助手と、いろいろやりましたが、なんとかデビューできました。

 “山岡英二”という芸名で、デビュー曲はヤンマーディーゼルのCMソング『恋人は君ひとり』。今、思うと、宇宙服みたいな衣装着せられちゃってね。本人としては、まったく自覚がなかったんだけど、一応、これでもアイドル歌手として売り出されたみたいです(笑)。

ーー吉幾三の歌手人生は、ここからが本当の勝負だった。4年後に自ら作詞・作曲を手がけた『俺はぜったい!プレスリー』で、起死回生の大ヒットを飛ばすのだ。この頃には、すでに結婚し、長女も生まれていた。

 スナックで雇われマスターのバイトをしていたとき、お客さんに「プレスリーが死んだ」と聞き、「プレシリーだか、プレスリーだか知んないけど、俺だって田舎じゃ人気者だったんだ」と、即興で歌ったんです。これが元になっています。

■数字の「三」のほうが縁起がいい!

 曲をリリースするにあたっては、再デビューだというんで、名前を変えました。名づけ親は、当時のクラウンレコード(現・日本クラウン)の制作部長で、後に社長になる斎藤昇さん。

 最初は「吉幾造」だったのが、数字の「三」のほうが縁起もいいだろうと「吉幾三」に。

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