江戸で「越後屋」創業から350年“三井中興の祖”三井高利の生涯 (1/4ページ)

日刊大衆

写真はイメージです
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 令和五年(2023)は三井高利が江戸で越後屋(呉服店)を創業してから三五〇年の節目に当たり、多くのイベントが三井グループの周年記念事業として実施されている。

 高利は「現金掛け値なし店前(店頭)売り」という新商法によって、江戸で新参者だった越後屋を大店に育て上げたことで知られる。

 当時、呉服の商いはいわゆる御用聞き、もしくは屋敷売りのいずれかだった。御用聞きはあらかじめ訪問先で注文を取り、あとで反物などを届ける方式。屋敷売りは手代らが客の屋敷を訪ね、そこで現物の反物などを見せて販売する方法だ。いずれも訪問販売だった。

 客が呉服の良し悪しを見分けるのは難しく、店側が目利きでない客に安物を極上物と吹っ掛けることもできるわけだ。これを掛け値という。

 そこで客は店側の掛け値に従わず、「値切る」ことになる。一方、支払い方法は掛け売り(後払い)。客が支払期日になってもなかなか応じず、トラブルは絶えなかったという。

 そこで高利は掛け売りをやめて現金商法に切り替え、その代わり商品に正札(掛け値なしの正しい値という意味=定価)をつけた。

 さらに、店内に商品を陳列して客を呼ぶ店頭販売を主流に据えた。現金払いという負担はあるものの、目利きでない客でも越後屋に行けば安心できる正札で呉服を買うことができるようになったのだ。

 こうして、この店前売りの新商法が評判を博し、店に行ってショッピングを楽しみ、気に入った商品があれば現金で支払う現在の小売スタイルが確立していくのだ。

 ところが、この新商法は高利の独創ではなかったという。また、越後屋は創業後すぐに新商法で業績を伸ばした印象を抱かれがちだが、決してそうではない。しかも、江戸を代表する商人の一人とされる高利は越後屋開業後、伊勢国松坂や京に住み、ほとんど江戸にはいなかった。

 知られざる高利の生涯を振り返ってみよう。

 三井家の家伝では、祖先はかの摂政・藤原道長。そこから数えて六代目の信の ぶ生お が近江国の地方官となり、琵琶湖周辺を視察中、三つの井戸を見つけ、そこに財宝があったため、これを祝して三井に姓を改めたと伝わる。

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