江戸で「越後屋」創業から350年“三井中興の祖”三井高利の生涯 (2/4ページ)

日刊大衆

 信生の子孫は武士となり、近江の守護・佐々木(六角)氏に仕えた。

 ところが、高利の祖父に当たる三井高安の時代に六角氏が織田信長に事実上、滅ぼされ、伊勢へと流浪し、高利の父・高俊の代に当時、すでに商人の町として発展しつつあった松坂で商いを始めた。

 特に伊勢国丹生(三重県多気町)の豪商の娘だった高俊の妻には商才があり、夫亡きあとも金融業と酒造販売で三井家は財を成してゆく。

 高利は、この母(出家名を殊法)と父・高俊の八人兄弟の末っ子として元和八年(1623)に生まれた。

 長兄の俊次はやがて江戸の本町四丁目に小間物屋(のちに呉服屋)を開き、高利は一四歳のときに彼の店で働き始めた。

 これが三井家の江戸進出の第一歩だが、この店は暖簾の紋所から「釘抜三井」といわれた。高利が創業した三井越後屋の店章は「丸に井桁三」。それと区別するため、長兄の店は「釘抜三井家」と呼ばれる。

 高利にはもともと商才があったようだ。事実上、彼が店を切り盛りしていたこともあり、その商才を長兄に警戒され、母の面倒を見るよう言い含められて松坂へ返された。このとき二八歳。

 しかし、すねることなく高利は母に孝養を尽くしつつ、松坂で家業を発展させた。

 そして虎視眈々と江戸進出の機会を窺い、長兄が亡くなると母の許しを得て延宝元年(1673)、宿願の江戸進出を遂げる。

 こうして江戸随一の呉服街である本町一丁目に「三井越後屋呉服店」(現三越)を開業。この延宝元年が現三井グループの創業年とされる。

 ちなみに越後屋の屋号は松坂の店から受け継いだもので、まだ三井家が武士だったとき、祖父・高安が越後守を称していたからだ。

 暖簾に掲げた「越後屋三井八郎右衛門」は高利の長男・高平の名。当時、五八歳になっていた高利は、息子たちが成長していたこともあり、江戸の店を次男に、京都の仕入店を長男に任せた。

「江戸で「越後屋」創業から350年“三井中興の祖”三井高利の生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、跡部蛮井原西鶴江戸時代織田信長歴史カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る