規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【中編】 (3/4ページ)
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この措置に皇道派は激怒し、同年8月12日に前述の永田鉄山が斬殺される相沢事件が発生します。
永田は林のブレーン的存在であり、気落ちした林は陸軍大臣のポストを川島義之に譲りました。そしてその後、暴走した皇道派の軍人による二・二六事件が発生し、首相の岡田啓介を始めとする閣僚たちが襲撃・惨殺されます。
この時、林は既に陸軍大臣ではなくなっていたので、運よくターゲットから外されていました。
そのかわり、真崎甚三郎の更迭に関与した渡辺錠太郎教育総監は、家族の目の前で機関銃で撃たれた上に銃剣で切りつけられるという凄惨な最期を遂げています。
「問題だらけ」の時代に突入二・二六事件によって、国内政治は停滞します。まず、政党政治家たちは首相になって陸軍に逆らえば軍人のテロで殺されるという恐怖心を抱くようになりました。
しかし誰かが陸軍を抑えて海軍をならしていかないと、軍部が暴走するのは目に見えています。また国内経済は外貨不足や円の暴落による輸入物資の高騰、インフレで混乱していました。
さらに外交面でも、中国問題によってぎくしゃくしたソ連・アメリカ・イギリスとの関係の修復という課題がありました。