規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【中編】 (4/4ページ)

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そんな中で首相になったのが、もと外務大臣の広田弘毅です。

広田弘毅(Wikipediaより)

しかし広田も自分を「つなぎ」の首相だと考えており、ほぼ軍部の言いなりのままですぐに退陣してしまいます。そして陸軍内では、林銑十郎を首相に担ぎ上げて陸軍の政策を推し進めようという動きが起きていました。

林を押し上げようとしたのは皇道派の軍人たちで、その中心は石原莞爾でした。彼は「林大将なら猫にも虎にもなる。自由自在にする(操る)ことができる」と考えていたそうです。最初から陸軍の操り人形にする気まんまんでした。

林は元々「後入斎」と呼ばれるほど決断が遅く、無口で人の話をよく聞くように見えて、大胆な提案や助言には意外なほど乗る性格でした。それで「扱いやすい」と思われたのでしょう。

【後編】では、首相に担ぎ上げられた林の、そのめちゃくちゃぶりを説明します。

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

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