将軍・徳川綱吉の時代に3度もの大火災…江戸時代の「元禄の大火」はなぜ起きた? (3/4ページ)
昭和9年に発生した「函館大火」の説明図(Wikipediaより)
元禄の大火と呼ばれる三つの大火も、どれも火災の発生率がピークを迎えるシーズンに発生しており、いわば「江戸時代の大火」の典型だったと言えるでしょう。
しかし原因はそれだけではなく、当時の江戸では急激に人口が増加しており、それに伴って木造の家屋がたくさん建てられていたことも、火災の頻発と被害拡大の要因になりました。
火災拡大の原因は元禄時代当時の江戸の町には全国から人が集まっており、人口は80万人に上ったと言われています。これが、続く享保年間(1716~36年)には130万人へと膨れ上がりました。
特に、町人たちが住む日本橋・京橋・神田あたりのいわゆる「下町」は人口密度が高く、表通りには商店が立ち並び、路地裏にも長屋がずらりと建っていました。住む人が多ければ、「火の元」もそれだけ増えることになりますし、大火になれば焼け出される人も多くなるのも当然でしょう。
ちなみに、このように大火の話ばかりしていると元禄時代は不吉な時代だったように感じられるかも知れません。しかし実際には都市部の人口が増加し、物流も発達したことで、さまざまな産業や娯楽が発展したのもこの時代の大きな特徴です。
この頃は町人たちも経済力をつけ、学問や芸術分野でも活躍するようになりました。