ちょっと待って!江戸時代「安政の大獄」は本当に大弾圧だったのか?井伊直弼の本当の目的と後世の誤解 (4/5ページ)

Japaaan

吉田松陰の旧宅

ただ、安政の大獄が「大獄」という言葉からイメージされるほどの大弾圧だったのかは疑問です。

そもそも処罰者の人数が史料によってまちまちで、一般に100人以上と言われてはいますが、当時の公家の九条尚忠の書状では75人と記されていますし、そのうち処刑されたのは8人とそう多くありません。厳密には獄死を含めると14人ですが、それ以外は追放や謹慎処分で済んでいました。

西欧や中国で行われたような弾圧事件と比べて、安政の大獄は「大獄」と呼ぶほどのものなのかどうか、微妙なところだと言えるでしょう。

新政府による印象操作説

ではなぜ、この一斉処分事件は「大獄」という強い言葉で表現されるようになったのでしょうか。

考えられるのは、処罰対象者の人数はともかく、全国規模の摘発だったことから「大規模な弾圧」というイメージが定着したことです。また、新政府による印象操作が行われた可能性も捨て切れません。

国の統治者が入れかわった際、新しい統治者が、旧い体制について悪いイメージを植え付けて、自分たちの正当性をアピールしようとするのは世界的に見ても珍しくありません。

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